




夕張の町に近づくと遠くから「カサブランカ」の映画の看板がみえてきました。そう夕張市は1981年の炭坑でのガス突出および坑内火災という悲惨な事故以来、全面廃坑になってしまいましたが、その次の産業をめざし映画フェスティバルを掲げたのですが、それも夕張市倒産とともになくなってしまいました。町に残るのは言うなればその頃の残骸なのでしょうか。

「ゆうばりキネマ街道」にはお昼なのに町には人は殆どおらず、ちょいとうら寂しい感じでした。夕張は日本で最も人口密度が低い市だそうです。このキネマ街道を散策してみたのですが、今はもう見る事もできない手描きの映画の看板があちこちに飾られていました。ひっそりとした廃墟のような町がこれらの絵のおかげで、わずかに活気づいてるようにも見えました。

名画中の名画が看板になってますね〜。「誰がために鐘は鳴る」ゲリー・クーパーとイングリット・バーグマン二大スターの共演。隣はヘップバーンの「マイフェアレディー」。昔父が北海道の炭坑で技師として働いていた頃は、仕事が終わると、何もないところでのただ一つの楽しみは映画を見に行く事だったと語っていたのを思い出しました。

小津安二郎の「東京物語」や「秋刀魚の味」の看板が道路脇に。。。二本とも大好きな映画!「黒部の太陽」も学校の授業とかで皆で見に行きましたね〜。
「猿の惑星」、これもクラスで見に行った憶えがあるけど、ラストシーンには度肝をぬかされました!
あっ、やっと町の人が見えました。
アラン・ドロンとジャン・ギャバン、皮肉にも隣に衛生テレビのアンテナが。。。
そして「用心棒」に「羅生門」黒沢明監督のもとで三船敏郎がもっとも輝いていたころですね。
キネマ街道、見応えありました。夕張メロンも食べずに札幌に向かいました。
札幌に着く頃は夜になってました。夜の食事はジンギスカン鍋でもと思い本舗だと言われているお店にいったのですが満員で待つ人が並んでる状態。。。雨のなかお腹がすいていたので近くのラーメン屋さんにはいりました。一応持ってたガイドブックではベスト5に入っていたところだったんで。。。
この店のスペシャルのごま風味の味噌ラーメンを注文。予想以上にもの凄く美味しくて大満足でした。


知床岬で乗用車で行くことができる最先端の町、宇登呂=ウトロに到着。ひっそりとした港には一仕事終えた漁船が並んでました。
翌朝起きてから、ペンションのまわりを散歩してみました。昨夜出迎えてくれた「ふくちゃん」まだ寝ぼけ顔です。突然ですが北海道にいってきました。
最果ての町「遠軽」です。アイヌ語で「インガルシ=見晴らしのいい所」という意味らしいですが、ここは母の生まれ故郷なんですが、実は初めて僕はこの地を踏みました。生まれた時に来たらしいのですが、憶えてるはずもなく、それに赤ん坊だったから、その時は足は踏み下ろしてないはずです。(笑)
戦前に父が福井からこの近くの鉱山で設計技師として働きに来ていて母と出逢ったらしいです。そう『パリ・テキサス』という映画のなかで、主人公が車で両親が出逢ったテキサス州にある「パリ・テキサス」という町に通信販売で買った土地を捜しだそうとするシーンがあったけれど、「遠軽」は言うなれば僕の「パリ・テキサス」かもしれません。(笑)
ここ駅の近くでレンタカーを借りたのですが、小さい事務所にはデスクひとつに、おばさんが一人しかいなく、何だか遠くに来たな~って感じがしました。そして駅から数キロ離れたところにある「六号野上駅跡」に行きました。駅といっても駅舎のことで、明治の開拓時代の頃は、網走からかぞえて6号目にあたるところでした。ここで馬たちも旅人も一休みしたそうです。母の父はこの辺りに住んでいたそうです。100年前に植えられたという、エゾマツが大きくそびえたっていました。
そしてさらに北上しオホーツクの海につながっているサロマ湖に到着。やはり日本海とはちょっと雰囲気がちがいますね。そして海岸を網走にむかう途中に「のとろ湖」の湿地帯があり、日本ではあまり見ることのない景色の前で一休みです。
そして網走に着いた頃は夜になり、そこからまた数キロ離れたペンションへ行くには途中から車道を離れ、真っ暗な畠の中を行くのですが、カーナビの画面に映る青いラインのみを頼りにんして無事到着。この時ほどカーナビがこんなに便利だと思ったことなかったです!