(Photo : B. Lacombe) |
先日ネット上の新聞にて石岡瑛子さんが他界したニュースをしりました。
彼女は日本を代表するデザイナーでした。
故・倉俣史郎氏が、ある席で友人である石岡瑛子さんの事を語っていたのを思い出します。その時僕はフランスの友人、ミュージシャンのジャン・クリストフと映画プロデューサーであるパトリックの二人を連れだっていて、氏は彼らに仕事の関係で彼女を会わせる事になっていました。彼女が後から落ち合うことになっていたその食事の席で、倉俣氏は彼女の事を熱く語ってくれました。
僕が最初に彼女の名を聞いたのは東京に出てきて間もない頃、池袋でPARCOのポスターを見たときでした。大都会でいまだ右も左も判らなかった田舎者の僕には何もかもが新鮮に見え、そして彼女が作ったポスターに出合った時には、まさしく都会の「洗練された感覚」を見せつけられたようで「やはり東京はすごいなぁ」と思ったものでした。勿論その頃はポスターの作者名など知るよしもなく、ずっと後になって作品集で彼女の作品だったのだと知りました。
そういえば、80年代にパリに留学のため一年間滞在していた美大生のHさんが石岡瑛子さんの大ファンで彼女のようなデザイナーになる事を目指してました。しばらくして彼女が石岡さんのように資生堂デザイン室に入ったという知らせを聞いて、すごいなぁと思いました。
そして数年前に出会ったパリで働いていた女性建築家Sさんが、やはり石岡瑛子さんを目標にしていると熱く語るのを聞いて、四半世紀以上も女性クリエーターたちの憧れとしてある石岡さんの存在感に驚きました。
* * *
そんな石岡さんのことを、倉俣氏はとてもとても「優しい人」だと我々に語ってくれました。
というのも「彼女は冬の寒い日に植木鉢に水をやるのに、草木が可哀想だからお湯をわかして温かい水をあげる人」だと。。。仕事で会う事になっていたフランス人たちに、何とか上手く彼女を紹介するために話してくれたのですが、この話を聞いて我々は微笑まずにはいられませんでした。そのあとすぐに石岡さんが現れたのですが、我々は挨拶しながら思わずにニンマリ(笑)1990年の春でした。。。
その後に石岡さんと二度程食事をする機会がありましたが、ジャン・クリストフの音楽のCD出版ができるように関係者に働きかけて下さったり、本当に優しくしてくれました。残念ながら出版は実現しなかったけど、無名の作曲家のために色々と労力を注いでくださいました。
偉大な人は優しい。。。
安らかに眠って欲しい。
石岡さんの作品は、流行の最先端であったにも関わらず、時を経ても古くなりませんね。今見ても、どれも美しい。
返信削除こうしてみると、いわゆる流行とも違うんですね。
偉大な人は優しい。
石岡さんが逝去された記事をあちこちで読みましたが、
どれも彼女の熱い部分をクローズアップするものばかりで、そんな一面もあったのかと・・・。
海外で戦わなきゃならないこともあったろうに、
それでも優しくいられたことは、すごいことだなあと思います。
そうですね、未だに新鮮ですね。
削除彼女独特の世界感がちゃんとあるからなんでしょうね。
正直いって↑のポスターはモデルがフェイ・ダナウェイじゃなくてもいいと思うし
むしろ手前の二人の女の子の方がずっと重要な気がします。
真冬に草木にお湯を注ぐって、やっぱり普通の人じゃ考えない事ですよね。
K氏は彼女の「優しさ」と一緒にその人並み以上の「感性」を伝えるための
逸話だったのだと思います。