2009/07/31

平な桃

桃の季節ですが、近頃よくPECHE PLATE ペッシュ・プラットという桃が店に出てますね。「平な桃」という意味ですが、その名のとおり円い桃を上から押さえたって感じのへんてこな形の桃です。異常なまでに完璧な形を求める日本のフルーツ市場ではちょっと難しいかも。。。或はその奇抜さを売り物にして高い値段がつきそう。(笑)

フランスで見るのはスペイン産のものが多いですが、原産はやはり中国で、『蟠桃(ばんとう)』言われ、その昔楊貴妃がこよなく愛したそうです。シルクロードからペルシャを通ってヨーロッパに来たらしいです。大きさはそんなに大きくはないでが、くねった形はなかなか色っぽいです。完全にはまってます。そしてその味はとても甘~~~い! しかもいままでの桃とは全く違う甘さで、まさしく「桃源郷」の味です。。。

2009/07/29

たま顔


ここに引っ越してきてから日本の夏を想い、毎年家の前の庭に朝顔を植えてます。朝の陽に透き通る花が綺麗です。毎朝咲く花の数が増えていき楽しいです。


ただ今年は白い花が多いんですが、この種は何年か前までは目の覚めるような真っ青な色をした花をさかせてました。形もずっと大きかったんです。でも年々と小さくなってきて、色も白や紫になってきて、ついに野生の朝顔に戻ってしまいました。数年前は毎朝数百個のブルーの大きな花が咲いて凄かったですけどね。。。でも野生の小さい花も綺麗です。中には何本か世代を経てない青いものもあります。


ミツバチが丁寧に花から花へ蜜を吸いながら飛び歩いてますね~。見てると殆どすべての花に入ってますね。朝早くからご苦労さん。


するととたんに葉っぱの間から、たまが顔を出し、おはようさん。


はい、バタ~~~。    ☞


2009/07/26

夏は花火



夏の日は花火ですね~。日本の花火が懐かしいです。実家福井では三国の「水中花火」が素晴らしいです。花火に火をつけて舟の上から一つづつ花火師が海に落としていくのですが、花火が水中で爆発するんです。水上に出た半球の花火が水面に反映して美しい限りです。


やはり花火は日本ですね~。

と思っていたのですが。。。


前にもお話した、ヴェニスでの水上花火を1982年に初めて見て以来(もう27年前!)その考えが覆されました。毎年7月の第3土曜日の夜に打ち上げられます。グラン・カナル(大運河)の先端で、その三日前にサッカーのワールド・カップに優勝して上機嫌なイタリア人に囲まれて見た花火は、まさしく水の都ヴェニスの名にふさわしい豪華なものでした。

そう日本だと二尺玉とか三尺玉とかいろいろあって、それぞれの花火の醍醐味を味わうところがありますよね。それに昔なら「玉屋」、「鍵屋」のようにスポンサーが打ち上げる花火が互いに競い合うって感じ。

ところがヴェニスの花火は最初から最後までずうっと一続きの演出された大スペクタクルなんです。日本は高く昇る花火ですが、ヴェニスでは水上を横に広がるんです。

そして自分のゴンドラやボートを出して水上で眺めるヴェニスの人たちの影が美しく浮き上がります。VIVA ITALIA !



写真は各サイトから抜粋させて頂きました。

三国花火

福井県坂井市ホームページ


ヴェニス水上花火

同じサイトの管理人さんが撮られたビデオがあります。


2009/07/25

Miaou...



フランスでは猫は「にゃ~お」ではなく「ミャ~ゥ」と鳴きます。(笑)

ここでは、たまは「入れてちょうだい」って言ってるのだろうけど。。。

でもすぐに立ち上がり戸を開けにいっても駄目なんですよね~。そう簡単には入ってくれないんだな、これが。。。




オマケです。(笑)



2009/07/24

『海苔の鈴舟』


毎年一度パリに来る友人いて、最近はお土産に『海苔』を持ってきてくれます。『海苔の鈴舟』といって缶入りの切り海苔です。何年か前に初めて頂いて、その美味しさに感激しました。薄くて、ピーンと張りがあって、口にする時シャキっと音がし、口触りが何とも言えないです。製造元は神奈川県川崎市。
パリでは海苔は貴重品。あれば大事に食べてるんですが「白米」と同じように、ある程度「日本のお米」に似てるだけで満足しちゃうんで、それ以上はあまり質の方は「どれが美味しいか?」などとは追求しないんです。っていうか追求できないのが現状かな。

この『海苔の鈴舟』の海苔を食べて、あらためて日本食の深さに気がつきました。その証拠に。。。

この『海苔』、実はたまが大好きなんです。っていうかいままでの海苔は見向きをしないのに、これはたっぷりニオイを嗅いでサクサク食べるんです。今日も御馳走のサーモンの薄切りをやっても食べようとしないのに、この海苔はあっという間に二枚食べちゃいました。
猫にもグルメ感覚はあるんだ。。。 
こんないいモノを勿体ないかもしれないけど、スーパーで買ったサーモンの薄き切りよりも、こっちの方が美味しいと言われれば、やらずにはいれないですよね。

このパリパリする感触が気に入ってるようです。

2009/07/23

木漏れ日。。。


アジア・日本では皆既日食でしたね。

僕はちょうど10年前の夏、1999年8月11日に皆既日食をみました。

ラッキーにもパリから数十キロメートル東へ行ったところが日食が見れるゾーンに入っていたので親友と車で見にいきました。普段はあまり来る事もない畑のど真ん中を走り抜け、小さな村の広場に車を止めて、太陽がいっぱいの麦畑を前にして、一本の木の影の下にすわり待機してました。

そして、いよいよ待っていた時間がくると、急に鳥たちが群れをなして空を低く飛びまわりだしました。いったい何がおこったのかってパニック状態のような飛び方で、犬たちの遠吠えがあちこちで聞こえてきました。薄暗くなったかと思うと、気温があっという間に10度位下がり、景色は深いブルーに包まれてしまいました。大気の温度は下がり続け、涼しいというよりぶるぶる震えるくらい寒かったです。専用の銀色眼鏡で眺める太陽がだんだん賭けて行くのがよく見えました。神秘的な数分間でした。

そして何の気なしに地面を見て、ハッとしました。それは「木漏れ日」が地面に映ってるのですが、その一点一点の光の形が皆、三日月の形をしているのです!!!

この時はじめて、木漏れ日の光というのは、あれはすべて円い太陽が、一個一個映っていたのだという事に気がつきました。

そしてみるみるうちに三日月は円なり、真夏の日差しが戻ってきました。


大満足で帰路は足取りも軽く。パリのカルチエ・ラタンまで友達を送ると、ある映画館でアントニオニーの『日食』を上映しており、「粋だなぁ~」って感心。一緒に食事する代わりに映画館に入ったのを憶えてます。


1999年8月11日。フランスでの皆既日食です。

2009/07/22

もう一人のアームストロング


帰仏。行きと同じくド・ゴール空港第2Eターミナルに到着。

着いたらテレビ中継で自転車ロードレース『ツール・ド・フランス』をやっていた。いかにもフランスに戻ったって感じ! 

今年は日本人選手が二人参加してるらしいけど、完走できるかどうか。未だかつて完走した日本人選手はいない。そのくらいもの凄く難しいレースだ。約3000キロメートルを三週間かけて走り中盤以降は2000メートル以上の山をも乗り越える過酷な山岳ステージがいくつもあり、毎年勝負が決まるところだ。

もう一人の『アームストロング』、総合優勝7連覇して三年前に引退したレンス・アームストロング選手がまた参加してるらしい。
凄いな~、やはり彼は化け物か。。。

上を見上げると三週間前に通った出発ロビーが見える。。。


『キース・ジャレット』


実家福井での最後の夜、友人が営むレストランで食事した後バーが立ち並ぶ中繁華街を通りぬけるとこんなシャレた看板がありました! 
「キース・ジャレット」。。。ジャズ・バーなんだろうな〜。
今度帰った時にきてみようかな。

2009/07/20

静かの海



ちょうどその時、学校の体育館でバスケットボールの練習中で、誰かが「着陸成功!」って言いながら走って来て、確か皆拍手したのを憶えている。。。
人類が初めて月の上を歩いたのが今から40年前。米国の『アポロ計画』やソ連の『ソユーズ計画』と当時は両大国が凌ぎを削っていましたね〜。それをまるで『ワールドカップ』を観るような感じで皆が衛生放送に見入ってたものでしたが、クライマックスはやはり、アポロ11号がアームストロング船長たちを乗せて月面着陸した時でしたね。
今思うとあれはいったい何だったのだろうかと思う程、両国とも信じられない程の莫大な費用を使ったんですよね。でも、その大昔から月世界への旅は『人類の夢』だったのだから、あんな時代もあってもいいか。。。とにかく感動的な一瞬でした。

2009/07/18

こきりこ節。。。



レンタカーを借りて、富山県の『五箇山村』まで行ってきました。
隣の岐阜県の白川郷とならんで『合掌造り』で有名なところです。ここでは世界遺産になっている集落が二つあります。相倉(あいのくら)と菅沼です。冬になると2、3メートルの雪が積もり完全に陸の孤島となっていたところ、平家の落人たちが追っ手を逃れて、隠れ住み着いた所だったとも言われています。また民謡の宝庫ともいわれ、踊りながら歌う有名な『こきりこ節』や『麦や節』もここのものです。民謡好きだった父は、「こきりこ節」をよく口ずさんでました。近年高速道路が開通して、福井からでも楽々行けてしまいます。この日は9時に出発して11時には着いていました。数年前12月に行った時、雪に埋もれた真っ白な風景に感激し、今回は夏の風景を見たくてきてみましたが、緑がとても眩しかったです。

杉の皮でできた壁と茅葺き屋根との対比が綺麗です。

17、8年ごとに葺き替えられる「茅葺き屋根」の裏側、釘は一本もつかってないそうです。

遥かな街へ

『遥かな街』という漫画ご存知でか?
2002年にフランスのアングレーム市の「マンガフェスティバル」でグランプリ賞をとった谷口ジロー氏の作品です。フランスの若い友人から、「主人公が同じ名前だよ」といいながらプレゼントされて読んだのですが、はまってしまいました。読み終わったあとに、なんか素晴らしい映画をみたような感じがしたのを憶えてます。フランスには谷口氏の熱烈なファンがいて沢山作品が出ています。
そのあと日本語版を帰国した際に友達が買ってくれました。それを読んで、またまたはまってしまいました。
48歳になる主人公が京都に出張にきて帰る時に乗った電車が、気がつくと自分の故郷「鳥取行き」の電車だったというところから話が始まり、その後どんどん主人公は昔の世界にタイムスリップしていき、そして、とうとう「あの日」がやってくる。。。

心理描写がすばらしいためか、どんどん彼の世界に吸い込まれていきます。まぁ、自分が故郷を長く離れているせいでもあるのだろうけど。。。

以来、谷口氏の作品は機会あるごとに読んでます。ホントに氏はフランスでは絶大な支持を得てますね。彼の1994年の『孤独のグルメ』も仏訳されていて、ファンが沢山います。

僕も市の図書館から借りて読みました。でも日本語版が欲しくて捜してたのですが、日本では絶版のようになっていて、帰国してもなかなか古本屋を捜しあるく時間もないため、ちょっと諦めていたのですが。。。何と先日ぶらぶらした道頓堀のTSUTAYAでこの本が新しく発売されているのを見つけました。さすがその瞬間は『うォ〜ッ』って感じでした! 大阪に来てよかたった!やはり、ぶらぶらしてみるもんですね。

グルメな人は必読の本です!!!

2009/07/16

街の灯



人に会うため大阪まで行ってきました。福井からそんなに遠くもないのに、何故かあまり来た事ありませんでした。京都には近しい友人が何人かいるので、いままで京都には機会あるごとに立ち寄ってるんですが。やはり知ってる人がいなかったこの街は素通りでしたが、今回は少しだけゆっくりできました。

昼間に連れられて昇ったあるビルの33階からの展望が素晴らしくて、夜になってまた夜景を観てみたくなって、デジカメを持ってやってきました! ただ昼間は後に着いていっただけなので、夜になって、「さてどのビルだったのか?」と迷う事30分ちかく。(笑)やっとの事でみつけて昇ってみたら。。。素敵な光景が眼下に! まるで「ブレード・ランナー」の一シーンに入ったようでした。また来てよかった!


2009/07/13

悩み事。。。


JR北陸線に乗ると、最近いつも悩む事がひとつあります。それは駅弁をどれにするかです。。。(笑)

まぁ、いつも同じパターンなんだけど、富山の『ますのすし』か福井若狭の『焼きサバ寿司』に分かれます。鱒か鯖か。。。

以前はいつも『ますのすし』だったんだけど、最近『空ベン』で大ヒットした『焼きサバ寿司』も見逃せません。で、今回はとりあえず焼き鯖寿司を買いました。そして大満足! しめ鯖の棒寿司とはまたひと味違っていて美味しいです。

帰りは『鱒』かな。


2009/07/12

タイム・トンネル


日本航空が第二ド・ゴール空港の新しくできたターミナル「E 」に移動。

今回、それを知らず今まで通りのターミナルにいってしまい、ちょっと手間取りましたが早めに着いててよかったです。新しい搭乗ゲートの空間は綺麗な放物線上のカーブを描いていて、搭乗を待つ人たちが買い物をしたり、設置されてるビデオ・ゲーム機はすべて利用されてて、若者や大人たちが真剣にゲームにとりくんでました。何もここまで来てゲームまでとは思うのですが、野暮な考えですかね。。。

子供の頃、テレビで『タイム・トンネル』というアメリカのドラマがあって主人公二人がトンネルの中に入っていくと過去や未来に飛んでいけるんのですが。何だかここの空間を見て、タイム・トンネルを思い出してしまいました。でも一時帰国は、僕にとってはタイム・トラベルと同じようなものかも知れませんね。帰国するたびに『ウラシマさん』にどんどんなって行くのを感じます。(笑)


実は、その昔僕がはじめて渡仏した時は羽田空港から発ったんです。成田空港がまだない時でした。そしてホールでは見送りにきた人たちで一杯。今では信じられないですが、皆胴上げされてました。何処かの大学の校歌を輪になって歌っていたりで。。。それだけ海外が遠かったんですね。ちなみに僕も友人達に胴上げされました。(笑) 今では航空券もネットで買えてしまう程簡単。以前は旅行会社に出向いて、カーボン紙のついたチケットを貰って、しかも48時間前にコンフォームの電話を入れなくてはならず、いかにも旅に出るって感じがありましたね。今回はチケットも送ってこなくって出発二日前に「やばい!チケットがない!」と、はっと気がつき、あわててJALに電話したら「e-チケット」なので番号だけでいいと言われ、空港までチケットなしでいきました。搭乗券が出るまで正直少し不安でしたが、とにかく便利になったというか、味気ないというか。。。


なんて考えてるうちに搭乗のアナウンスがあり。入って座席ベルトをして待てどもなかなか飛行機が動かず、30分遅れ。機内アナウンスでは、結局チェック・インしたにもかかわらず、搭乗しなかった人がひとりいて、その人の荷物を下ろしてる最中だということでした。きっと、その人はロビーでビデオ・ゲームにまだ、のめり込んでるに違いないと想像した僕は思わずニヤリ。せめていい点とってくだいな〜。(笑)


2009/07/09

恋人中心世界

やはり雨をうたった歌ですが。。。

昔、「ピンキーとキラーズ」が一世風靡をしていた時、僕も子供ながらピンキー(今陽子)の歌のうまさに惹かれて、彼女が出ている音楽番組をテレビで追っかけていた頃があったんですが、ある日NHKの番組で『ステージ101』というのがあって、ピンキーがゲストで出演していたので見ていたら、番組の中で「今月の歌」とかいうので一人の女性が唄った一曲に釘付けになってしまいました。それは『恋人中心世界』という題で、「小林啓子」という歌手が唄ってました。20代初めの頃だったんだろうけど、僕の印象では凄く大人の女性に見えたのです。っていうかホンのガキだった僕がそう感じるのは変だけど、でも彼女の歌が素晴らしく鳥肌がたったのを覚えてます。一瞬にして僕の頭の中では上手いと思ってたピンキーは消えちゃいました。


♩トゥ、トゥ、トゥ、トゥ トゥー 雨でも~♩

♩トゥ、トゥ、トゥ、トゥ トゥー 平気よ~♩

♩トゥ、トゥ、トゥ、トゥ トゥー ずぶ濡れで~♩

抱かれていたいの~♩


透きとおった声で、その頃聴いた事もないリズムだったんですが、父が、あれは「ボサノヴァ調」っていうリズムで日本人はあまり唄ってないよって説明してくれたっけ。作曲はあの中村八大氏、その軽快さに心弾みました。今でこそボサノヴァはポピュラーになったけど、あの頃はとてもめずらしく、ましてやテレビなどでは誰も歌ってませんでした。

レギュラーの中でも彼女はダントツにうまかった。でも一年位で番組を去っていき、まったくテレビでは見えなくなってしまいました。以来、雨の続く日はいつもこの曲を知らぬ間に口ずさんでました。ずうっと後で知った事なのですが小林啓子さんは当時、森山良子と並ぶフォーク界の「女神」だったそうです。CDも10年程前に探し回ったことがありましたが、まったくなく。僕の中では幻の歌手でした。。。

ところがつい最近小林啓子さんは30年のブランクの後でまた歌いはじめたという記事を読みました! 

いつかきっと何処かでライブを聴いてみたいですね~。

Isn't This a Lovely Day?

昨日も、今日も、雨、雨、雨ですね〜。

雨をうたった歌が結構好きです。まあ、雨にかかわる名曲は数えきれないと思うけど。悲しい雨、楽しい雨、その時の心境によって随分と違って感じますよね。


フレッド・アステアーとジンジャー・ロジャース主演『TOP HAT』(1935年)の名シーン。
この映画では歌曲はアービング・バーリングの担当だけど、この頃はゲーシュインやバーリング、ポーターという名作曲家達は皆、アステアーのために曲を作ってます。
彼が歌った曲は後にジャズのスタンダードになってますね。。。歌は抜群に上手い訳ではないけど、その顔の表情や豊富なジェスチャーが素敵で、そしてそれがいつのまにかダンスに繋がっていくという彼独特の世界に、皆が魅了されました。。。

2009/07/06

ノアノア


東京でゴーギャン展が開催されてるようですね。。。しかも大作『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』がメインらしい。この絵、一度パリでの回顧展で見たけど素晴らしかった。もう一度見てみたい。。。

2009/07/04

最後の映像

最後の絵画とか最後の作品とか、「最後」という言葉がつくとやはり、急に気になってしまうものです。そういえば去年パリのマイヨール美術館でマリリン・モンローの写真展があり大変な反響だった。彼女が生きていた「最後の写真」ということで、なおさら皆の見る目にも感情が入ってしまうんでしょうね。僕も三度も見にいったけ。(笑)

2009/07/02

バイクと映画

映画でバイクの名場面は沢山あるけど、なかでもその口火を切ったのは『あばれ者』。主役マーロン・ブランドの黒の革ジャンにジーンズでバイクにまたがる姿に50年代の世界中の若者達が憧れます。
デニス・ホッパーとピーター・フォード自作自演の『イージー・ライダー』は70年代のLOVE&PEACEの象徴的な存在として、次の世代に大きな影響を与えます。ドイツのヴィム・ヴェンダース監督の『さすらい』はそういう作品のひとつ。そして同じ頃に『フェリーニのローマ』ではラストシーンはにローマの暴走族が走り廻ります。
最近では、その同じ「ローマの街」をひとりスクーターに乗って陽気に走り廻るナンニ・モレッテイの姿がよかったですね~。
実はこの映画を見て以来、夏になるとにスクーターが欲しくてたまりません。僕の友達みなパリは車が多くて危ないから止めろといいます。ローマの人たちのように若い頃から乗ってるのならまだしもってことなんですが。
ようするに「いい年こいてっ!」ってことなんだろうけど。。。